報道のどこまでが本当なのか・・・

事件が起きるとその出来事について新聞テレビなどのマスコミが報道をします。
その際、私がどうしても気になる点があります。それは「報道が事件の事実を決めつけているように感じる」ということです。

ライブドアの事件にしても他の事件にしても、事実を知っているかのような言い方で報道されることがとても多いです。
事件が起きた直後ではそれ程でもないですが、時間が経つにつれて、疑惑が濃厚になるにつれて報道の口調が「〜〜をしていた。」と事実を語る口調になっていくのです。犯人とおぼしき人が逮捕又は起訴された時などはなおさらです。

事件の本質として結果的にそれが事実であるかも知れないが、逮捕・起訴されたからといって、その人が実際に行ったという事実を示すものではないのです。その状態において事実を知っているかのような口調で報道するのはいかがなものでしょう?と思うのです。
報道って事実を伝えるものと私は理解しています。報道が知っているのは「〜という話がされている」「〜と思われている・疑いが生じている」
ということだけです。なのに、(可能性が高いとはいえ)事件を事実として伝えているのはいつ見てももやもやしたものが出てきます。
※警察その他が公表したからといってそれが事実とは言えません。ただ単に警察その他から聞いたにすぎないのですから。

そして特にテレビでその傾向が強いように思います。ワイドショーその他の解説番組、討論番組では顕著で、皆が皆その口調で話しています。
報道がその意見を述べるのは構わないと思いますが、事実として伝える(つもりはなくてもそうとられる)ことは好きになれません。
しかも、報道は皆に対して大きな影響を与えます。事実として伝えられていると、それを事実として受け入れてしまいます。普通にしていたら事実かそうでないかの判断をすることができません。そして事実としてそれを前提に考えるためさらに事実が事実として決めつけられてしまいます。

えん罪事件はその典型だと思います。

で、そんなことを思っていたら、

  • 司法の判断は裁判所で行われます。粉飾決算は、裁判を経ずにマスコミ等から有罪の判決が下されたような錯覚を受けます。

私の意見よりももっともです。事実粉飾決算の処罰の対象は、取引を行ったライブドアの役員・その会計処理に対して適正意見を出した監査法人に可能性があります。が、粉飾決算ない可能性もあるんですよね。報道を聞いていると本当に、粉飾決算が疑惑ではなく事実と思えてしまいます。